やるべきこと。

やりたいことがないんじゃなくて
やりたいことを見つける努力をしていないだけじゃないのか...


昔の話しだけど、好奇心からなんでも分解してみることが好きだった。
分解をすると内部構造をしることができて
これをこうやって動かすとどうなるのかって不思議に思い触って見たもの
マニュアルなんて読むことは当然無い。
例えば、ビデオデッキを分解した時の感動は大きかった
ビデオデッキにはヘッドがついていて、そこに磁気テープが触れることにより
情報のよみとりを行う。磁気テープがすすまずに停止した場合でもヘッドは周り続ける。
つまりポーズボタンを押して磁気テープを止めたままにすると
テープが摩耗し劣化する。

映像記憶媒体がDVDに置き換わって久しい
今の僕にいたってはその好奇心にかられることはない
DVDという円盤に光をあてて反射させて情報を読取る
CDの機構とほぼ一緒のDVD(BD)に興味を持つことはない。
また、ソフトウェアに関しても大規模化してしまい読む時間、気力もない。
本当に大事なのは、そこじゃないのか?
知的好奇心を揺さぶり、新たな発想でソフトウェアの改修に挑む。
そういうことを繰り返していかないと面白くない人間になってしまいそうで怖い。

現状、将来の目標は漠然としている。
漠然としている理由はひとつ。
モチベーションが上がらないこと。
ゴールが見えないと人間はやる気を出せない。
ゴールってなんだって聞かれても困るが
たぶん。。。”あるべき自分の姿に近づくこと”

私の場合のあるべき姿、OSSに貢献したい気持ちが強く
仕事の合間を縫って翻訳やメーリングリストを眺めている。
libvirt,virt-managerのML。
内容は英語、だけど中身はソースコードのPatch
先週から大改修が始まっている。
v6とかGTKについて。
コンパイルしてバグを探して
バグ報告するだけでも貢献にはなるが
もっと深堀りしたい気持ちでいっぱいだ。
ソースコードを書いたり、自分の意見を投稿したり。

今それができているかといえばできていない。
時間がないと言えばいいわけになるが
本職に割いている時間が長い。

さてさて
やりたいことを見つける努力ってなんだろう
だれのためにやるのかって本気で考えたことあるのか
もちろん自分のためにやるって答えてもいいんだけど
自分のために頑張ると大概結果に甘んじてしまう。
だから他人のためにやる。
他人って誰だっていうと、その結果を待ち望んでいる人。
家族や友人、恋人、知人、他人、世界の何処かにいる人。




まだ、その人に出会ってないかもしれない。
だから出会ってやりたいこと、その人のために頑張ることを見つけたい。

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